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小野洋司「苦痛からの脱出9」
死にたいと思っているうつ状態の人でも、精神科に通うのは心のどかかで 「生きたい」と思っているからだと思います。 自殺未遂で自分が何度か入院を繰り返していても、スタッフがいつもと変わりない優しい接し方をしていただき、自分の気持ちが楽になっていくのがわかりました。 自分ではこれが「心の休息」だと思いました。 そして、自分の調子が落ち着き、退院日が近づくと自然に先生及び看護師さん7,助手さん、食堂の人たちからの思いやりに感謝するようになりました。 思いやりにより、感謝したり、されたりするとお互いにいい気持になると思います。 すると今度は自分の場合、病院関係の人たちだけでなく、一般の人たちにも自然に思いやりや感謝をしてみようと思い始めました。 次の話は自分が入退院を繰り返している時の実話です。 続く……
2 日前
小野洋司「苦痛からの脱出8」
姉からは、自分のことを 「うちの子は一生入院させてください」 と病院側に言っていたそうです。 それを聞いて、自分も 「一生病院で仲間たちと楽しく暮らしてもいいかなぁ」 と思っていました。 するとある時、先生が自分に 「グループホームに入居してみない?」 と言われました。 家族の了解なしにグループホームに入居来るのは珍しかったようです。 自分はすぐに入居することにしました。 後で聞いたのですが、この提案は先生及び、看護師さん、助手さん達の意見だったようです。 なおかつ、自分が精神的にダメになった時すぐに入院できるように三か月間自分のためにベットを空けておいてくださったようです。 普通の病気では、医師や看護師といろいろな人と患者が、 生きることを目的として治療を受けるのですが、精神科の場合、 自分もそうでしたが、患者さんは「死にたい」と思っているのを、 「生きる」と思えるように治療していく、 とてもむずかしい仕事だと思います。 ………続く………
6月8日
小野洋司 「苦痛からの脱出7」
※ご本人の意向により、ご本人の文章をそのまま掲載しております。 ※センシティブな内容を含みます。閲覧にはご注意ください。 自分も精神病歴30年位経っていて、その間に8.9人位主治医が変わっています。 広島で出会った先生は、神奈川県の鎌倉の精神病院に勤務されており、 軽躁状態で入院していた自分をわずか2週間しかたっていないのに、 近くのお寺の座禅に連れて行ってくれました。 逃げ出そうと思えば逃げられましたが、 先生が自分を信用してくれていると思い、逃げ出しませんでした。 この先生は今までの先生と違って、 診察するたびに退院後の事をアドバイスしてくれました。 その頃、自分は外泊(実家)許可が出ても、父との相性が悪く、 何度となく体調を崩しては病院に入院していました。 この頃、自宅で自殺未遂を何度かしていました。 それでも病院に戻ると、気持ちが落ち着き、 安心して治療を受けることができるようになりました。 ・・・・・・・・続く・・・・・・・・・・
6月1日


6月のきらめき出店情報
キタクリワークで作業のお手伝いをしている「きらめき野菜」の出店情報です。 きらめき野菜 6月出店情報 14日「よこすかstreetマルシェ」 11:00-16:00 横須賀中央メインストリート https://www.instagram.com/yokosukastreetmarche/ 20.21日「よこすかポートマーケット 朝市」 9:00-12:00 ポートマーケット入口広場 https://yokosukaport-market.com/news/event_calendar/ 横須賀ポートマーケット内「長井水産」様の中できらめき野菜の「琥珀糖」を販売させていただいております。 イベントで気に入ってくださった方はぜひお立ち寄りください きらめき野菜の琥珀糖 #琥珀糖 #こはくとう #きらめき野菜 #出店情報 #手作り伝統菓子
5月25日


大石純子「散歩日記」
散歩で見つけた 大石様お散歩シリーズ 芋虫??とっても愛嬌があって可愛いですね! 上町で見つけたパンジーも色使いがとてもきれいです♪ 沢山咲いていてとてもきれいだったそうですよ。 12色しかない色鉛筆で頑張って書いてくださっています。 もっとたくさんの色鉛筆を購入しなきゃ!と思うスタッフでした。。
5月25日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出6
まずは、北海道の札幌でジンギスカンを食べ、 東京に戻った時、 (広島の小野家の墓参りに行こう) と思っていたら、広島のいとこから連絡があり、 広島の精神病院に入院することになりました。 広島には、一人暮らしをふうめても6年位いました。 入院中のある時、新しい先生と出会いました。 自分は、(この先生に診てもらいたいなぁ~) と思いました。 でもこの先生は他の関東の病院に移られると聞き、 自分は広島の病院を離院して、その先生を追いかけようと思いました。 ここで自分が思ったのは、 「主治医を変えることに臆病にならないように」 ………つづく………
5月25日


大石純子 「絵日記」
パンジーと虫 大石純子「絵日記」 シリーズも増えてまいりましたね! 今回は、虫!! 純子さんの生き物の絵はイラスト的でお茶目は雰囲気♪ きっとこのあおむしも食いしん坊に違いない!と思わせてくれます。 パンジーの絵もとってもきれいですね(⌒∇⌒) パンジーは色とりどりでぱっと華やぐお花ですね。 色使いもとてもきれいです。 純子さんのこだわりの一枚、またお待ちしています😃
5月20日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出5
自分は小学生2.3年生の頃から毎年、 埼玉の実家から、父の実家である広島まで夏休みになると一人で電車に乗って、 一か月位広島で過ごしていました。 「三つ子の魂百まで」といいますが、 一人旅の良さは小さなころから覚えていると、 恋愛感情抜きにして「男はつらいよ」の旅をする寅さんに憧れるようになりました。 話を元に戻します、、 予定では先生から、「一か月以内に入院してもらいます」と言われ、 入院までまだ半月あるので、計画を立てて、 北は北海道から、 南は沖縄まで旅行しようと思いました。 ・・・・続く・・・・
5月18日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出4
資格を取った後、 ある障がい者と知り合い、 仕事としてサポートをすることになりました。 3年位、その彼のサポートをしたり、 のちに介護ホームの夜勤の仕事をするようになりました。 金銭にも余裕ができたので好きな一人旅に出ようと思いました。 回りから見れば、これが軽躁状態に見え、 自分も旅行を楽しんでいたのですが、 後で思えば自分でもやはり軽躁状態なのだと思いました。 ・・・・・続く・・・・・
5月11日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出3
すると今度は障がい者サロンに、障がい者OKのアルバイトの募集が来ました。 自分はあまり自信がありませんでしたが、 仕事をやらないで後悔するよりも、 やってみて失敗して後悔してもいいと思い、アルバイトを始めました。 約2年2か月続き、稼いだお金で、欲しかったテレビを買い、 残ったお金をどうしようか考えて、 どうせ、親の面倒は自分が見るのだろうから、 ヘルパー2級の資格でも取ろうと思いました。 ・・・・・続く・・・・・・
5月4日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出2
もう自分はタバコ位しかならない内職よりも、 精神的に楽なサロンに通うことにしました。 その後、そこの廃校で週一で近所の人たちが集まるお茶会が始まりました。 障がい者サロンで出席していたのは自分だけでした。 なぜかというと、自分は人生の先輩たち交流楽しい時間の中でも 人生についていろいろな人生のアドバイスを受けたいと思ったからでした。 続く・・・・
4月27日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出1
その頃、両親は自分の病気に理解がありませんでしたが、 母親が保健所に行き、精神障害者が通う作業所を見つけてきてくれました。 仕事の内容は、主に内職と市から委託された公園のごみ拾いなどでした。 同じ病気の仲間たちと楽しく過ごし、約9年位通い、自殺願望も薄れていきました。 その後小学校の廃校の一室を借りて障碍者の通うサロンができました。 続く・・・・
4月20日
小野洋司 はじめに7
※注意※ この回はセンシティブな表現があります。 利用者様の心の言葉をありのままお伝えさせていただいております関係上 誤字脱字、センシティブな表現等ご理解いただけますようお願いいたします。 続き・・・ いざ退院になると、集団生活に馴れていた洋司は、 両親共仕事に行っていた為、 昼間は一人で家にいる事になりました。 しばらくこの状態が続くと思うと、 不安、孤独、絶望が頭をよぎり (両親が亡くなったら、洋司はどうなるのだろう。 それならば、両親は悲しむだろうが、自分が先に亡くなったほうがいいのでは。) 洋司の頭の中で、はじめて自死という言葉が浮かびました。 ・・・・・・つづく・・・・・・
4月13日
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