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大石純子「散歩日記」
散歩で見つけた 大石様お散歩シリーズ 芋虫??とっても愛嬌があって可愛いですね! 上町で見つけたパンジーも色使いがとてもきれいです♪ 沢山咲いていてとてもきれいだったそうですよ。 12色しかない色鉛筆で頑張って書いてくださっています。 もっとたくさんの色鉛筆を購入しなきゃ!と思うスタッフでした。。
4 日前
小野洋司 苦痛の日々からの脱出6
まずは、北海道の札幌でジンギスカンを食べ、 東京に戻った時、 (広島の小野家の墓参りに行こう) と思っていたら、広島のいとこから連絡があり、 広島の精神病院に入院することになりました。 広島には、一人暮らしをふうめても6年位いました。 入院中のある時、新しい先生と出会いました。 自分は、(この先生に診てもらいたいなぁ~) と思いました。 でもこの先生は他の関東の病院に移られると聞き、 自分は広島の病院を離院して、その先生を追いかけようと思いました。 ここで自分が思ったのは、 「主治医を変えることに臆病にならないように」 ………つづく………
4 日前


大石純子 「絵日記」
パンジーと虫 大石純子「絵日記」 シリーズも増えてまいりましたね! 今回は、虫!! 純子さんの生き物の絵はイラスト的でお茶目は雰囲気♪ きっとこのあおむしも食いしん坊に違いない!と思わせてくれます。 パンジーの絵もとってもきれいですね(⌒∇⌒) パンジーは色とりどりでぱっと華やぐお花ですね。 色使いもとてもきれいです。 純子さんのこだわりの一枚、またお待ちしています😃
5月20日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出5
自分は小学生2.3年生の頃から毎年、 埼玉の実家から、父の実家である広島まで夏休みになると一人で電車に乗って、 一か月位広島で過ごしていました。 「三つ子の魂百まで」といいますが、 一人旅の良さは小さなころから覚えていると、 恋愛感情抜きにして「男はつらいよ」の旅をする寅さんに憧れるようになりました。 話を元に戻します、、 予定では先生から、「一か月以内に入院してもらいます」と言われ、 入院までまだ半月あるので、計画を立てて、 北は北海道から、 南は沖縄まで旅行しようと思いました。 ・・・・続く・・・・
5月18日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出4
資格を取った後、 ある障がい者と知り合い、 仕事としてサポートをすることになりました。 3年位、その彼のサポートをしたり、 のちに介護ホームの夜勤の仕事をするようになりました。 金銭にも余裕ができたので好きな一人旅に出ようと思いました。 回りから見れば、これが軽躁状態に見え、 自分も旅行を楽しんでいたのですが、 後で思えば自分でもやはり軽躁状態なのだと思いました。 ・・・・・続く・・・・・
5月11日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出3
すると今度は障がい者サロンに、障がい者OKのアルバイトの募集が来ました。 自分はあまり自信がありませんでしたが、 仕事をやらないで後悔するよりも、 やってみて失敗して後悔してもいいと思い、アルバイトを始めました。 約2年2か月続き、稼いだお金で、欲しかったテレビを買い、 残ったお金をどうしようか考えて、 どうせ、親の面倒は自分が見るのだろうから、 ヘルパー2級の資格でも取ろうと思いました。 ・・・・・続く・・・・・・
5月4日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出2
もう自分はタバコ位しかならない内職よりも、 精神的に楽なサロンに通うことにしました。 その後、そこの廃校で週一で近所の人たちが集まるお茶会が始まりました。 障がい者サロンで出席していたのは自分だけでした。 なぜかというと、自分は人生の先輩たち交流楽しい時間の中でも 人生についていろいろな人生のアドバイスを受けたいと思ったからでした。 続く・・・・
4月27日
小野洋司 苦痛の日々からの脱出1
その頃、両親は自分の病気に理解がありませんでしたが、 母親が保健所に行き、精神障害者が通う作業所を見つけてきてくれました。 仕事の内容は、主に内職と市から委託された公園のごみ拾いなどでした。 同じ病気の仲間たちと楽しく過ごし、約9年位通い、自殺願望も薄れていきました。 その後小学校の廃校の一室を借りて障碍者の通うサロンができました。 続く・・・・
4月20日
小野洋司 はじめに7
※注意※ この回はセンシティブな表現があります。 利用者様の心の言葉をありのままお伝えさせていただいております関係上 誤字脱字、センシティブな表現等ご理解いただけますようお願いいたします。 続き・・・ いざ退院になると、集団生活に馴れていた洋司は、 両親共仕事に行っていた為、 昼間は一人で家にいる事になりました。 しばらくこの状態が続くと思うと、 不安、孤独、絶望が頭をよぎり (両親が亡くなったら、洋司はどうなるのだろう。 それならば、両親は悲しむだろうが、自分が先に亡くなったほうがいいのでは。) 洋司の頭の中で、はじめて自死という言葉が浮かびました。 ・・・・・・つづく・・・・・・
4月13日
小野洋司 はじめに6
今でもそうかもしれませんが、 日本では精神病院のしきいは高く、 一度精神病入院というレッテルがつくと、 普通の社会に復帰できないのかと思い洋司は絶望しました。 入院している時は、先生をはじめ、 看護師さん、助手さん、患者さん達といろいろな話ができて、 気をまぎらわす事が出来ていたのですが、 やはり早く退院したいという気持ちは変わりませんでした。 つづく・・
4月6日
小野洋司 はじめに5
※ご本人の意向により、ご本人の文章をそのまま掲載しております。 ※センシティブな内容を含みます。閲覧にはご注意ください。 退院してからが色々あった 洋司の人生にっとって、第5の病人としての人生が始まりました。 よく、 「人生は一度きりだ」 とか、 「人間は生き返れない」 とかいいますが、 洋司は 「人間は生き返ることはできないが、いつでもどこでも何度でも、病人でも生き方を変えることはできる。」 と思います。 (そんな簡単に言うなら精神科医や精神病院はいらないんじゃない?) 洋司も一時期そう思っていた事がありました。 続く・・・
3月30日


小野洋司 はじめに4
仕事初めが、九月位だったので、年内で退院だと思いましたが、結局半年働いて退院となりました。 入院生活から退院まで 「人生、辛抱だ」 という言葉がこの時しみじみ心に焼き付きました。 洋司が思うには、精神病院での入院期間で、心がある程度、 健常者のもつ喜怒哀楽に近くなれば退院できるのではないかと思いました。 つづく
3月23日


小野洋司 はじめに3
それは看護師さん達や、助手さん達の信頼を得る事だと思います。 信頼を得るまでは大変ですが、信頼を一度でも失うと信頼度ゼロどころかマイナスからのスタートになると思います。 現に大阪まで逃げた洋司は単独散歩の許可がしばらく出ませんでした。 しばらくすると、洋司の単独散歩どころか病院から通う仕事の話が来ました。 屋外の仕事で、夏は暑く、冬は寒かったです。 ケースワーカーさんに 「どのくらい仕事に通えば退院になるのですか?」 とたずねると、 「まぁ、三か月位かな」 と言ってくれました。 つづく・・・
3月16日


小野洋司 はじめに2
それでも入院生活でも自分と同じ病気の人もいて慣れてくると、 少し気持ちが楽になってきました。 それでも夜はあまり寝られませんでした。 洋司は、 (寝られないのは、働いていないからだ) そう思い、二か月分の小遣いをためて、病院を抜け出し、 以前日雇いで働いたことのある大阪へ向かいました。 八王子から大阪までの一昼夜、結局二日間とも寝られなくて、 急いで親に連絡して八王子の病院に戻りました。 この事で学んだことは、先生の言うことは守る、薬はちゃんと飲むという事でした。 その他にも大事な事があります。 それは、 続く・・・
3月9日


小野洋司 はじめに1
みなさん、初めまして。 自分の名前は小野洋司(以下 洋司)といいます。 洋司は精神病の統合失調症歴三十年になります。(現在六十二歳) 当時の病名は精神分裂病とそううつ病と心身症の合併型と言われました。 洋司は八王子の精神病院に入院することとなり、しばらくすると外への単独散歩の許可が出たので、近くの公園で (洋司は一体三つのどの病気から直せばいいのだろう。もしかしたら、どれも治らないかもしれない) と途方にくれました。 ・・・・・続く・・・・
3月3日
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